こだわりの介護旅行
要するに、わたしはまだ還暦にも届かない弱年の身で「この先あまり長くない」存在として毎日を生きていることになる。
そうすると、これまでになかった傾向を顕したり、新たな関心を示したりしている自分に気づく。
ひとつには、過去や同時代の著名人の没年や死因が気になるようになった。
没年が知命(五十歳)前なら若死にだなあと思い、五十代なら自分と似たようなものだと受け取り、六十以上なら長生さてはないかと羨むようになった。
つい自分とひき比べて、五十代で亡くなっている人々には特に意味のない親近感まで感じたりする。
過去の人々はいくつで亡くなっていても、それなりに人生が完結しているように見えるから不思議である。
しかし、これは彼らが著名人だからであろう。
三十前に死のうが九十まで生きようが、著名人というのは死ぬまでになんらかのかたちで歴史に痕跡を残しだからこそ著名人なのである。
彼らの一生は、たいていなにかしでかしてから死んでいるので起承転結にまとまりやすい。
かりに晩年鳴かず飛ばずで零落した挙げ句に窮死したとしても、それはそれで(結フーグ)」の部分が長く演奏されただけのことだ。
新聞の訃報欄に目が向くようになって気がついたのだが、死因というのはあいまいにしか伝えられないことが多い。
たとえば「心不全」「多臓器不全」「肺炎」など、死ぬ直前なら誰でもそうなるような状態名を挙げている記事が半分ほどある。
あとはガン、心筋梗塞、脳内出血など、死因統計の上位を占める病名である。
ガン死が目立つような気がするのは、こちらが敏感になっているからでもあるが、実際にも増加しているのだろう。
ただし、その原因の大半は寿命が伸びたからと診断能力が上がったからにすぎまい。
幼児や若者が栄養失調、食中毒、結核、戦争などでコロコロ死んでいた頃にガンや脳溢血を心配するのはぜいたくな話だったのだ。
当然ながら、昔の人ほど、今なら助かったのにと思える死因で亡くなっている。
確かヘーゲルやチャイコフスキーはコレラで死んだ。
ショーベンハウェルはコレラを恐れて用心を重ね、逃げ回るようにして長生きした。
それでもヘーゲルは自分の書けそうなことは全部本にしているし、チャイコフスキーの六番はいかにも最後の交響曲である。
ショーベンハウェルは『意志と表象としての世界』とその補遺を書いたあと、オマケの人生に恵まれただけのことである。
若死にとはいうものの市川雷蔵も松田優作も出るべき映画には出て、しかるのちに死んだように見える。
このように、著名人というのは「ちゃんと」時宜を得て死んでいるように思える。
むしろ、われわれ無名人のほうが死ぬのが早すぎたり遅すぎたりしているのではなかろうか。
わたし個人の場合、自分で勝手に感じているほど、あるいは家族が惜しむほど、五十有余歳という没年が早すぎるのかどうか、こればかりはよくわからない。
いまひとつ、別の変化として、老後の生活や消費財の耐用年数が気にならなくなった。
先々、総入れ歯をどこで作るか、下の世話を誰に頼むか、などは考えなくてよい。
老年痴呆や老人性肺気腫などなりたくてもなれない。
定年後の勤め先も最後に転がり込む老人施設も予定に入れる必要がない。
そんな先まで生きる気遣いがないのである。
これは寂しくもあり、また気楽でもあるヘンな境地である。
ただ、まだ読んでいない本や視聴していない映画その他を多く残して去らねばならないのは痛恨の極みである。
「われ亡きあと」にはあまりに多くのものが残される。
もっとも、長生きしたところで「そのうち読もう、いつか見よう」と油断しているうちに寿命が尽きてしまうだろうから、結果的には似たようなものかもしれない。
いずれにしても「全て」の作品に接することは誰にとっても不可能なのだし、死んだあとでその人の待望久しかった傑作がようやく公開されるといった皮肉ななりゆきも多いはずである。
いずれにせよこれほど死ぬ可能性に急かされはじめると、なにか楽しみを老後にとっておくということは考えられない。
そのかわり、老後の心配もなくなった。
すでに所有している機械や道具が、あとどれぐらいもつのかも心配しなくてよい。
たいていの物は、わたしより長持ちしそうだからである。
二、三年前に、電池交換が不要でいつまでも動くソーラー蓄電の腕時計にしたのだが、こんなことならそうした斟酌も無用であった。
最近では五年十年ともつ電池があるのだから、それを使った腕時計にしておけば、たぶん死ぬまでに電池交換の要はないだろう。
家内が主として運転しているわが家のメルセデス90Eはすでに十年物だが、次の車種をあれこれ検討してみる気にもならない。
このまま乗り潰すっもりなら、今後あの車のほうがわたしより遥かに久しく家内とつきあうことになるのではないか。
いや、それどころか保存のきく食糧などを買って賞味期限が翌年の後半であったら、こちらが負けそうな気がするぐらいなのだ。
これらを要するに、わたしは商品の耐久性や寿命についてあれこれ思い煩う必要がなくなったということになる。
また、わたしは自宅の屋根や勤め先や日本国や地球が今後どうなるかを気にする必要がない。
そうしたことは、わたしより長く生きる人々にまかせておけばよいのである。
気がついたら、わたしは自分より長命なものたちに囲まれて暮らしていた、ということになる。
街を歩いても、すれちがう人々はたいていわたしより長く此の世にとどまるだろう人々である。
これを思うと一種の疎外感を禁じ得ない。
以前な亘局齢者を見かけても、まさか自分が彼らより先に逝くとは想像しなかった。
いや、鳥や昆虫でさえ、それが越冬や冬眠をする種類なら、ひょっとしてこやつらのほうが長生きかもしれないなどと疑う。
余命で負けない自信のある相手といえば鮮魚コーナーでヒゲや脚を動かしている活けエビ活け力二ぐらいのもので、さすがにわたしのほうは今夜中に焼かれたり蒸されたりはしないだろうと、ようやく優越感に浸れるのである。
先だって「がんと生きるすべての人のための交流誌」というのを新聞で広告していた。
月刊で創刊一周年の雑誌らしいのだが、「書店ではお求めになれません。
年間定期購読受付中」とあった。
ということは、来年まで十二回配本を予約して代金送料は先払いなのだろう。
「がんと生きるすべての人」のうち、来年の今頃まで雑誌が読める状態を確実に維持できるようなケースはどれぐらいの割合なのであろう。
ひょっとして、この年間定期購読の予約をすると縁起がよくて、どんな患者も最後まで読めるというのか。
それとも遺族向けの耳寄りな情報も満載されているから、本人が途中で亡くなっても無駄にならないのか。
あるいは、ちょうど健康な人々がなんとなくあと何十年も生きると前提したような感覚で生活しているのと同様、「がんと生きるすべての人」もまたあと少なくとも一年以上はまず間違いなく生きるつもりでいるのだろうか。
もちろん面と向かって質問すれば、健康人にしても「そりゃ何十年先なんてわかりません」と答えるだろう。
ガン患者だって来年の今頃も生きているという保証のないことは頭で理解している。
しかし、ふとした拍子に「がんと生きるすべての人のための交流誌」を年間定期購読するつもりで発注してしまうのである。
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ショーベンハウェルはコレラを恐れて用心を重ね、逃げ回るようにして長生きした。
それでもヘーゲルは自分の書けそうなことは全部本にしているし、チャイコフスキーの六番はいかにも最後の交響曲である。
ショーベンハウェルは『意志と表象としての世界』とその補遺を書いたあと、オマケの人生に恵まれただけのことである。
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